みんみんゼミ

第19回ゼミ報告

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1なかだ時計 2018/11/08 19:11 電話3PC iPhone

OB・OGの皆様、こんにちは。
10月27日に行われた第19回ゼミ個人テーマ「合唱」の報告をさせていただきます。

今回のテーマ「合唱」では、ゲーテの詩「野ばら」は様々な作曲家の手により曲がつけられ、フランツ・シューベルトやハインリッヒ・ヴェルナーなどの作品が特に有名であるが、ゲーテはシューベルトの作曲を認めなかったとされる文献をよく見かけた為、その理由を、当時の時代背景やヴェルナーの作品と比較して考察する目的で「野ばら」が取り上げられました。
「ゲーテが活躍した18世紀末から19世紀にかけて、市民たちは身分や階級を越えた〈集い〉において「民謡」を歌うことで楽しみを享受していた。ゲーテ自身も詩が〈集い〉で歌われることを高く評価していたため、大衆には歌いにくかったシューベルト作曲「野ばら」は〈集い〉に不向きであり、ゲーテの意にそぐわなかったのではないか。」という発表者の主張を基にディベートを行いました。

まず、「個人的にはシューベルトの方が明るい元気なイメージの野ばらだったので、もし〈集い〉で楽しく歌うのならシューベルトの方でも良いと感じました。」という意見が出ました。
その意見に対し、ヴェルナーはおだやかで、シューベルトは軽やかな曲調であり、シューベルトの曲調は素人の〈集い〉には難しいのではという発表者側の反論が出ました。その理由として、シューベルトの曲調は後の揺れが多く、跳躍が多い・強音弱音を再現している・参考音源のYouTubeの動画にはソリスト(プロ)が歌っているものが多く、ソリストに向けた「野ばら」なのではとのことです。

また次に、「ゲーテは「集い」で歌われることを高く評価していたため大衆には歌いにくかったとありますが、ゲーテ自身はそこに注目したというよりも自身の恋愛の別れの様子を詩の意味を知りながらもこんなにも軽やかな曲で表現したシューベルトに対し、嫌悪感を抱いたがためにシューベルトの作曲を認めなかったのではないかと考えました。」という意見も出ましたが、嫌悪感は抱いているのではなく、上記の反論である〈集い〉にとって難しい曲調だった為避けられたのではという反論が出ました。

次に、「然しながら不思議な事にシューベルトの作曲年以降の作品にはシューベルト 作品との共通点が多々見受けられる。
と原稿にもあるように、後の多くの音楽家がシューベルトを少なからず意識と言えると思うため、音楽的に良いものではなかったからや民謡に合わなかったのではなく、ゲーテ個人の好みに合わなかっただけではないかと思いました。」という意見が出ました。発表者、完成度が高いということは音楽的に良いものである。ゲーテは〈集い〉で歌えるように作詞したものであり、ゲーテの目的に合わなかった=好みに合わないということであると反論しました。
また、〈集い〉に対してではなく、恋人にあてたものではという意見も出ましたが、原稿6ページに記載している他の人にも歌われる為にも作られたとされていると反論を行いました。

そして、「野ばらの主人公は少年もしくは若い男です。そんな若き男の自由さや今後について考えない無邪気さはヴェルナーの速いテンポの方があっているとゲーテが感じたのかなとも思いました。」という意見の反論に、発表者はシューベルトとドラマチックなところは題材と合っているが、ゲーテが認めなかったのは歌いにくさ(難しさ)からだと述べました。

「ゲーテにとっての好みではなく、合唱として不向きであったというだけで、嫌悪(とてもつよい否定)はなかったのでは」という質問に対しても、ゲーテの目的は〈集い〉に歌われることに重点を置いていたということを示しました。

安達先生に、シューベルトは有節歌曲であり、合唱とはテーマが異なる。素人の〈集い〉に違いはわかっていたのか。
また、ドイツでは芸術歌曲(シューベルトのような)が一番有名であり、ゲーテ自身が音楽家ではなかった為、100%音楽の曲調には理解できないだろうというご意見をいただきました。

今回の個人テーマ「合唱」では、発表者側の勝利となりました。
第19回個人テーマ「合唱」の報告は以上となります。

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