第15回ゼミ報告 チームテーマ「オペラ」 みんみんゼミ
夏休みに入り、就活が終わったのにも関わらず、連続で報告が遅れ続けており、誠に申し訳ございません。7月27日発表 第15回 チームテーマ「オペラ」今回の発表では、以前安達先生の授業でも鑑賞したオペラ作品である『フィガロの結婚』について考察してゆきました。発表者側の主張としては、モーツァルト作曲『フィガロの結婚』において、ケルビーノ※が歌うアリア「自分で自分が分からない」では、普段の生活で抑圧された喜怒哀楽の感情の解放が投影されており、多様な魅力に満ちた『フィガロの結婚』の中でもそのアリアは際立った美しさを持っている、と述べられました。(※登場人物の一人である伯爵のお世話係。メゾソプラノ)オペラのストーリーは、1780年ごろのアルマヴィーヴァ伯爵の城内で進行してゆく。伯爵は、啓蒙主義の思潮を取り入れ初夜権を破棄している。彼の従僕のフィガロは、伯爵夫人の侍女スザンナと結婚することになっているのだが、夫人への愛が冷めてきた伯爵はスザンナに目をつけていた。そして、スザンナを我が物にせんと婚礼当日になって婚礼の引き伸ばし策を企むのであった。今発表で挙げられた質問・意見は下記の通りです。 主張における「多様な魅力に満ちた『フィガロの結婚』の中でも特に際立った美しさを持っている」という部分は、「『フィガロの結婚』の中の数あるアリアの中で一番美しい」という解釈で良いか。 主張の趣旨はアリアに限定していない。『フィガロの結婚』のオペラの曲全体を範囲とし、その中で「自分で自分が分からない」が特に際立って美しいと主張します。[意見] ケルビーノのアリア『自分で自分が分からない』では、確かに思春期の少年の心の錯綜が描かれ、その心理が見事に表現されている。しかし、オペラの内容はどちらかというとコメディ寄りであり、その曲はその路線に沿っているため、このオペラの中で際立っているというより、同調して突出し目立っているのではないか、と考えた。また、第一幕のコメディ要素の強い内容とは対照的に、伯爵夫人への思いを丁寧に歌い上げている第二幕のアリエッタ『恋とはどんなものかしら』の方が、このオペラの中では際立って魅力的なのではないか。[意見に対する反論]リフレイン効果により、2つ目の方(『自分で自分が分からない』)の方が見る側の記憶に残り易いのではないか。...その後、「それでは、2つあって初めて「美しさ」が成り立つのか」「第一幕と第二幕の間の休憩で、観客が前の幕で受けた印象を持って第二幕を見る為、第一幕の方が印象が強いのではないか」と再反論が続きました。その他に挙げられた意見として、コメディ寄りの内容と比較して、そのアリアでは「恋」を重く取り扱っているという印象しか受けなかった(際立って美しいとまでは思わなかった)がありました。(意見者が当日司会を務めることとなり、反論は割愛されました。)そして、評決の結果、フロア側の勝利となりました。また、「美しい」という主張の例として、「人物と物語がマッチしており、脇役ながらメロディも叙情的で美しい」という意見もいただきました。(BBSへの書き込み、OB・OG報告が遅れ、皆様にご迷惑をおかけすることが3年時より増えておりますこと、心からお詫び申し上げます。)
夏休みに入り、就活が終わったのにも関わらず、連続で報告が遅れ続けており、誠に申し訳ございません。
7月27日発表 第15回 チームテーマ「オペラ」
今回の発表では、以前安達先生の授業でも鑑賞したオペラ作品である『フィガロの結婚』について考察してゆきました。
発表者側の主張としては、モーツァルト作曲『フィガロの結婚』において、ケルビーノ※が歌うアリア「自分で自分が分からない」では、普段の生活で抑圧された喜怒哀楽の感情の解放が投影されており、多様な魅力に満ちた『フィガロの結婚』の中でもそのアリアは際立った美しさを持っている、と述べられました。
(※登場人物の一人である伯爵のお世話係。メゾソプラノ)
オペラのストーリーは、1780年ごろのアルマヴィーヴァ伯爵の城内で進行してゆく。
伯爵は、啓蒙主義の思潮を取り入れ初夜権を破棄している。彼の従僕のフィガロは、伯爵夫人の侍女スザンナと結婚することになっているのだが、夫人への愛が冷めてきた伯爵はスザンナに目をつけていた。そして、スザンナを我が物にせんと婚礼当日になって婚礼の引き伸ばし策を企むのであった。
今発表で挙げられた質問・意見は下記の通りです。
主張における「多様な魅力に満ちた『フィガロの結婚』の中でも特に際立った美しさを持っている」という部分は、「『フィガロの結婚』の中の数あるアリアの中で一番美しい」という解釈で良いか。
主張の趣旨はアリアに限定していない。『フィガロの結婚』のオペラの曲全体を範囲とし、その中で「自分で自分が分からない」が特に際立って美しいと主張します。
[意見]
ケルビーノのアリア『自分で自分が分からない』では、確かに思春期の少年の心の錯綜が描かれ、その心理が見事に表現されている。しかし、オペラの内容はどちらかというとコメディ寄りであり、その曲はその路線に沿っているため、このオペラの中で際立っているというより、同調して突出し目立っているのではないか、と考えた。
また、第一幕のコメディ要素の強い内容とは対照的に、伯爵夫人への思いを丁寧に歌い上げている第二幕のアリエッタ『恋とはどんなものかしら』の方が、このオペラの中では際立って魅力的なのではないか。
[意見に対する反論]
リフレイン効果により、2つ目の方(『自分で自分が分からない』)の方が見る側の記憶に残り易いのではないか。
...その後、「それでは、2つあって初めて「美しさ」が成り立つのか」「第一幕と第二幕の間の休憩で、観客が前の幕で受けた印象を持って第二幕を見る為、第一幕の方が印象が強いのではないか」と再反論が続きました。
その他に挙げられた意見として、コメディ寄りの内容と比較して、そのアリアでは「恋」を重く取り扱っているという印象しか受けなかった(際立って美しいとまでは思わなかった)がありました。(意見者が当日司会を務めることとなり、反論は割愛されました。)
そして、評決の結果、フロア側の勝利となりました。
また、「美しい」という主張の例として、「人物と物語がマッチしており、脇役ながらメロディも叙情的で美しい」という意見もいただきました。
(BBSへの書き込み、OB・OG報告が遅れ、皆様にご迷惑をおかけすることが3年時より増えておりますこと、心からお詫び申し上げます。)