合宿 ゼミ報告 個人テーマ「絵画」 みんみんゼミ
OB・OGの皆さま、こんばんは。9月10日ゼミ合宿1日目、個人テーマ「絵画」の報告をさせていただきます。今回の発表では、「これからの発表では、グスタフ・クリムトの作品「接吻」や「ユディト?」について触れたが、今回はクリムトのパートナーである『エミーリエ・フレーゲ』について触れていきたいと思う」ということを目的とし、「クリムトが描いた『エミーリエ・フレーゲの肖像』をエミーリエ本人は気に入らず、競売にかけてしまった。その理由は、「28歳の女性らしさ、艶やかさ」ではなく、「自立したエミーリエという女性」という内面を鋭く描き出したため、エミーリエはこの肖像画が気に入らなかったのではないかと考える」と主張し、ディベートをおこないました。まずフロア側からの意見としては、「私はどちらかというと、その理由の先にある「クリムトによって理想化された彼女の姿」が彼女のイメージする自身の姿(エミーリエ)とかけ離れていため、気に入らなかったのではないかと思いました。肖像を見る限り、頭身がやけに高い部分からも、そのようなことが考えられました」という意見が出ました。これに対して発表者側は、「等身が本人よりもモデル体型というのは、絵画だと実際の等身大よりも良く描く。これは絵画的に必要だった誇張だと思う。黄金様式を使わなかったという点から考えて理想化はせず、青色でクールな女性という現実の様子を描いている」と反論しました。他のフロア側からの意見としては、「エミーリエ・フレーゲの肖像は、彼女のことをよく知るクリムトでこそ表現出来る、彼女を的確に表現した作品であると思いました。しかし、クリムトは官能的な女性を描くことに長けており、誰よりも近くで一緒にいたエミーリエはそのような絵を描かれたモデルの女性達に嫉妬のような感情も持っていたのではないでしょうか。だからこそ彼女はクリムトに、もっと官能的な表現で、女性として描いてもらうことを期待していたのだと思います。他の女性たちのように愛されていると感じなかったことが、彼女がこの作品を気に入らなかった原因だと考えます」という意見が出ました。これに対し発表者側は、「クリムトがエミーリエの内面を深く理解していたからこそ、黄金様式ではなく、このような絵におさめた。この意見は主張と同じことを違う目線から述べている」と反論しました。また他のフロア側からの意見としては、「主張には クリムトが描いた《エミーリエ・フレーゲの肖像》をエミーリエ本人は気に入らず、競売にかけてしまった理由は、「28歳の大人の女性らしさ、艶やかさ」ではなく、「自立したエミーリエという女性」という内面を鋭く描き出したため、エミーリエはこの自画像が気に入らなかったのではないかと考える。とあります。固定概念の押し付けではありませんが、28歳という年齢は10代から成人へと移り変わる瞬間をとうに過ぎ、20代半ばを経験し、もうもなく30代を迎えるという、いわゆるアラサーに当てはまる年齢であるので、大人の女性らしさの中には自立、といった項目も当てはまると思います。またエミーリエが経営者として活躍していたことからも自立した女性というクリムトの解釈は、間違っていないと思うため、競売にかけられた理由としては考えにくいと思います」という意見も出ました。これに対して発表者側は、「1900年前半の女性が経営者として働くのは珍しかったため、男性の仕事(金銭)に依存しているというのが強かった。なので女性が仕事をして生きていくというのはまだこの時代は珍しかったと考えている」と反論しました。この反論に対してフロア側は、「当時の女性たちが受け入れられなかったというのはこの反論を聞く限り分かるが、エミーリエは経営者として自立していたのでその点から考えるとこの反論は当てはまらないのではないか」と再反論しました。別のフロア側からの意見としては、「私は《エミーリエ・フレーゲの肖像》をエミーリエ自身が気に入らなかったのは内面を鋭く描き出したためではないと考えます。他の女性とは違う、強い絆で結ばれていた2人だからこそ描き出せた内面を描き出した作品はエミーリエにとっては特別なものなのではと思いました。内面を鋭く描き出した という場面ではなく、特別感が前面に押し出されているからこそ、ほかの社交界の婦人たちのような関係には足を踏み入れられない事実を痛感させ気に入らなかったのではないかと思います」という意見が出ました。これに対して発表者側は、「エミーリエとクリムトは夏に避暑地に行った際、クリムトは愛人からの手紙をエミーリエに見られると嫉妬されるという理由から朝早く起きて手紙を受け取っていたという話があるくらい、エミーリエは嫉妬する女性であったので自立した女性を描いたという点がやはり気に入らなかったのではないかと考える。かっこいい女性を描きすぎたというのが売られた原因」と反論しました。安達先生からは、「9ページの写真からみてこれをモデルとして描かれた絵があのかっこいい絵だったらエミーリエも怒ると思う。この肖像画の服は日本の着物をモデルにしている。そもそもこの肖像画において服は関係なく、色気がない。それは顔の表情からも見てとれる。たとえ最初は嬉しかったとしても女として見られていないと感じてしまう。この肖像画は愛される女性として描かれていない。自立しているにも関わらず、さらに自立した女性を今更描かれてもエミーリエは嬉しくないと思う。不自然に手も足も長く、華やかさの欠片もない。これでは実際のエミーリエの方が華やかで女性らしい。この点がクリムトの失敗である」というお言葉を頂きました。評決の結果、発表者側の勝利となりました。以上でゼミ合宿1日目、個人テーマ「絵画」の報告を終わります。
OB・OGの皆さま、こんばんは。
9月10日ゼミ合宿1日目、個人テーマ「絵画」の報告をさせていただきます。
今回の発表では、「これからの発表では、グスタフ・クリムトの作品「接吻」や「ユディト?」について触れたが、今回はクリムトのパートナーである『エミーリエ・フレーゲ』について触れていきたいと思う」ということを目的とし、「クリムトが描いた『エミーリエ・フレーゲの肖像』をエミーリエ本人は気に入らず、競売にかけてしまった。その理由は、「28歳の女性らしさ、艶やかさ」ではなく、「自立したエミーリエという女性」という内面を鋭く描き出したため、エミーリエはこの肖像画が気に入らなかったのではないかと考える」と主張し、ディベートをおこないました。
まずフロア側からの意見としては、「私はどちらかというと、その理由の先にある「クリムトによって理想化された彼女の姿」が彼女のイメージする自身の姿(エミーリエ)とかけ離れていため、気に入らなかったのではないかと思いました。肖像を見る限り、頭身がやけに高い部分からも、そのようなことが考えられました」という意見が出ました。
これに対して発表者側は、「等身が本人よりもモデル体型というのは、絵画だと実際の等身大よりも良く描く。これは絵画的に必要だった誇張だと思う。黄金様式を使わなかったという点から考えて理想化はせず、青色でクールな女性という現実の様子を描いている」と反論しました。他のフロア側からの意見としては、「エミーリエ・フレーゲの肖像は、彼女のことをよく知るクリムトでこそ表現出来る、彼女を的確に表現した作品であると思いました。しかし、クリムトは官能的な女性を描くことに長けており、誰よりも近くで一緒にいたエミーリエはそのような絵を描かれたモデルの女性達に嫉妬のような感情も持っていたのではないでしょうか。だからこそ彼女はクリムトに、もっと官能的な表現で、女性として描いてもらうことを期待していたのだと思います。他の女性たちのように愛されていると感じなかったことが、彼女がこの作品を気に入らなかった原因だと考えます」という意見が出ました。
これに対し発表者側は、「クリムトがエミーリエの内面を深く理解していたからこそ、黄金様式ではなく、このような絵におさめた。この意見は主張と同じことを違う目線から述べている」と反論しました。
また他のフロア側からの意見としては、「主張には クリムトが描いた《エミーリエ・フレーゲの肖像》をエミーリエ本人は気に入らず、競売にかけてしまった理由は、「28歳の大人の女性らしさ、艶やかさ」ではなく、「自立したエミーリエという女性」という内面を鋭く描き出したため、エミーリエはこの自画像が気に入らなかったのではないかと考える。とあります。固定概念の押し付けではありませんが、28歳という年齢は10代から成人へと移り変わる瞬間をとうに過ぎ、20代半ばを経験し、もうもなく30代を迎えるという、いわゆるアラサーに当てはまる年齢であるので、大人の女性らしさの中には自立、といった項目も当てはまると思います。またエミーリエが経営者として活躍していたことからも自立した女性というクリムトの解釈は、間違っていないと思うため、競売にかけられた理由としては考えにくいと思います」という意見も出ました。
これに対して発表者側は、「1900年前半の女性が経営者として働くのは珍しかったため、男性の仕事(金銭)に依存しているというのが強かった。なので女性が仕事をして生きていくというのはまだこの時代は珍しかったと考えている」と反論しました。
この反論に対してフロア側は、「当時の女性たちが受け入れられなかったというのはこの反論を聞く限り分かるが、エミーリエは経営者として自立していたのでその点から考えるとこの反論は当てはまらないのではないか」と再反論しました。
別のフロア側からの意見としては、「私は《エミーリエ・フレーゲの肖像》をエミーリエ自身が気に入らなかったのは内面を鋭く描き出したためではないと考えます。他の女性とは違う、強い絆で結ばれていた2人だからこそ描き出せた内面を描き出した作品はエミーリエにとっては特別なものなのではと思いました。内面を鋭く描き出した という場面ではなく、特別感が前面に押し出されているからこそ、ほかの社交界の婦人たちのような関係には足を踏み入れられない事実を痛感させ気に入らなかったのではないかと思います」という意見が出ました。
これに対して発表者側は、「エミーリエとクリムトは夏に避暑地に行った際、クリムトは愛人からの手紙をエミーリエに見られると嫉妬されるという理由から朝早く起きて手紙を受け取っていたという話があるくらい、エミーリエは嫉妬する女性であったので自立した女性を描いたという点がやはり気に入らなかったのではないかと考える。かっこいい女性を描きすぎたというのが売られた原因」と反論しました。
安達先生からは、「9ページの写真からみてこれをモデルとして描かれた絵があのかっこいい絵だったらエミーリエも怒ると思う。この肖像画の服は日本の着物をモデルにしている。そもそもこの肖像画において服は関係なく、色気がない。それは顔の表情からも見てとれる。たとえ最初は嬉しかったとしても女として見られていないと感じてしまう。この肖像画は愛される女性として描かれていない。自立しているにも関わらず、さらに自立した女性を今更描かれてもエミーリエは嬉しくないと思う。不自然に手も足も長く、華やかさの欠片もない。これでは実際のエミーリエの方が華やかで女性らしい。この点がクリムトの失敗である」というお言葉を頂きました。
評決の結果、発表者側の勝利となりました。
以上でゼミ合宿1日目、個人テーマ「絵画」の報告を終わります。