第9回ゼミ報告 みんみんゼミ
OB・OGの皆様 こんにちは第9回ゼミの司会を担当致しました、金沢と申します。6月16日第9回目の発表のご報告をさせていただきます。今回は個人発表を行いました。個人テーマ「方言」ではバイエルン方言を主に取り上げながらドイツにおける方言に対する意識について考察をしました。そして方言は低評価であったが現代は方言と標準語を使い分けるバイリンガルの子供が増えてきており、彼らは職務面接や職場、公式文書では標準語、初対面の人との会話や家族と友人と話す際には方言、といった使い分けを行なっていると主張しました。まずBBSに書き込まれた意見の回答から始めました。若い世代でない人達は方言についてどう思っているのか?という質問には、方言は低く見られていたがそれは社会的な視点であって、言語の音など良い印象はあるという回答が出ました。また若者とって方言が魅力的でないという意見には方言=古い言葉という印象があるがそれは違い方言は時代に応じて変化していったとも主張をしました。またバイエルン方言は英国でいうクイーンズイングリッシュの様なものであったのか?という質問には中世ドイツ南部に存在したバイエルン公国の言葉であり貴族の言葉ではなかったという回答が出されました。そこで安達先生からバイエルン公国はステータスが高かった為、言語の価値も高かった。中央集権と同じで中央から地方へ文化は広まっていき標準語を話せる者は重宝された。というご意見をいただきました。また初対面の人に方言を使うのは失礼にあたるのではないか?という意見に対しては、受け取り方による、方言を聞く事によってこの人は違うんだなと出身が分かる、好き嫌いを判断する前の問題だという回答が出ました。そこで安達先生から初対面で自分から話しかける場合は相手の言語が特定できないというご指摘をいただきました。また発表者側から資料内の補足でバイエルン方言が一番人気の理由として、バイエルンの人々も自分達の方言が好きだし他の地域の人達も自分の方言よりもバイエルン方言の方を好み憧れがあるから票が伸びたと補足がありました。最後に安達先生からは、若者言葉=社会方言、ヤクザや警察などが使う専門用語や業界用語=階層方言、地域方言、など、現代は交通、マスコミも発達しそれでこれらの方言や言葉が普及するのは当然の事だというご指摘を頂きました。評決の結果、発表者側の勝利に終わりました。次に個人テーマ「絵画」ではベックリンの子供の死や自身にかかった疫病を描く「生」に固執する時期は絵は暴力的であり、非現実的な墓地、「死」を受け入れる絵は静かであることを当時の情勢とともに比較することを目的とし、ベックリンの描く現実的な死を描く作品は恐怖と暴力性を描いているの対し、非現実的な絵は静けさを対比して描かれている。と主張しました。フロア側からのペストで死んだ人は子供が多かったのか?という質問に対しては当時は疫病自体が多く流行していて原因の一つに子供の死があるだけでその疫病からペストを選んだという回答が出されました。次にBBSの書き込みを元にディベートを行い、フロア側からはどちらの絵にも現実、非現実が描かれているのではないか、という意見に対してベックリンは印象主義ではなく象徴主義であったためダイレクトに描かなかったのだろうという返答が出ました。そこで安達先生から絵画の主義というのは後から後付けされているものであり、自分は〇〇主義だといって描いているものではない。というご指摘を頂きました。次にどちらの絵も恐怖が共通しているように考えるため比較するのは難しいのではないか?という意見にはベックリン自身は対比目的くんはなく、あくまでも発表者自身の解釈であると返答しました。次に疫病で子供を喪った怒りや悲しみではなく、なぜベックリンの生への固執が描かれたと捉えられたのかという意見には、ベックリンは恨み辛みではなく疫病の惨状を描きたかったからではないかという返答が出されました。最後に安達先生からは 死を受け入れていないから平然としている というのはおかしいのではないか? 疫病で急死したとしてもそれは神が定めた寿命でありそれに従うのがキリスト教でも仏教でも教えがあるように死の受け入れとは無縁であり、死は受け入れているけれど悲しいから泣いているのではないかというご指摘を頂きました。評決の結果、フロア側の勝利に終わりました。第9回ゼミ報告は以上です。
OB・OGの皆様 こんにちは
第9回ゼミの司会を担当致しました、金沢と申します。
6月16日第9回目の発表のご報告をさせていただきます。
今回は個人発表を行いました。
個人テーマ「方言」ではバイエルン方言を主に取り上げながらドイツにおける方言に対する意識について考察をしました。そして方言は低評価であったが現代は方言と標準語を使い分けるバイリンガルの子供が増えてきており、彼らは職務面接や職場、公式文書では標準語、初対面の人との会話や家族と友人と話す際には方言、といった使い分けを行なっていると主張しました。
まずBBSに書き込まれた意見の回答から始めました。
若い世代でない人達は方言についてどう思っているのか?という質問には、方言は低く見られていたがそれは社会的な視点であって、言語の音など良い印象はあるという回答が出ました。
また若者とって方言が魅力的でないという意見には方言=古い言葉という印象があるがそれは違い方言は時代に応じて変化していったとも主張をしました。
またバイエルン方言は英国でいうクイーンズイングリッシュの様なものであったのか?という質問には中世ドイツ南部に存在したバイエルン公国の言葉であり貴族の言葉ではなかったという回答が出されました。
そこで安達先生からバイエルン公国はステータスが高かった為、言語の価値も高かった。中央集権と同じで中央から地方へ文化は広まっていき標準語を話せる者は重宝された。というご意見をいただきました。
また初対面の人に方言を使うのは失礼にあたるのではないか?という意見に対しては、受け取り方による、方言を聞く事によってこの人は違うんだなと出身が分かる、好き嫌いを判断する前の問題だという回答が出ました。
そこで安達先生から初対面で自分から話しかける場合は相手の言語が特定できないというご指摘をいただきました。
また発表者側から資料内の補足でバイエルン方言が一番人気の理由として、バイエルンの人々も自分達の方言が好きだし他の地域の人達も自分の方言よりもバイエルン方言の方を好み憧れがあるから票が伸びたと補足がありました。
最後に安達先生からは、若者言葉=社会方言、ヤクザや警察などが使う専門用語や業界用語=階層方言、地域方言、など、現代は交通、マスコミも発達しそれでこれらの方言や言葉が普及するのは当然の事だというご指摘を頂きました。
評決の結果、発表者側の勝利に終わりました。
次に個人テーマ「絵画」ではベックリンの子供の死や自身にかかった疫病を描く「生」に
固執する時期は絵は暴力的であり、非現実的な墓地、「死」を受け入れる絵は静かであることを当時の情勢とともに比較することを目的とし、ベックリンの描く現実的な死を描く作品は恐怖と暴力性を描いているの対し、非現実的な絵は静けさを対比して描かれている。と主張しました。
フロア側からのペストで死んだ人は子供が多かったのか?という質問に対しては当時は疫病自体が多く流行していて原因の一つに子供の死があるだけでその疫病からペストを選んだという回答が出されました。
次にBBSの書き込みを元にディベートを行い、フロア側からはどちらの絵にも現実、非現実が描かれているのではないか、という意見に対してベックリンは印象主義ではなく象徴主義であったためダイレクトに描かなかったのだろうという返答が出ました。
そこで安達先生から絵画の主義というのは後から後付けされているものであり、自分は〇〇主義だといって描いているものではない。というご指摘を頂きました。
次にどちらの絵も恐怖が共通しているように考えるため比較するのは難しいのではないか?という意見にはベックリン自身は対比目的くんはなく、あくまでも発表者自身の解釈であると返答しました。
次に疫病で子供を喪った怒りや悲しみではなく、なぜベックリンの生への固執が描かれたと捉えられたのかという意見には、ベックリンは恨み辛みではなく疫病の惨状を描きたかったからではないかという返答が出されました。
最後に安達先生からは 死を受け入れていないから平然としている というのはおかしいのではないか? 疫病で急死したとしてもそれは神が定めた寿命でありそれに従うのがキリスト教でも仏教でも教えがあるように死の受け入れとは無縁であり、死は受け入れているけれど悲しいから泣いているのではないかというご指摘を頂きました。
評決の結果、フロア側の勝利に終わりました。
第9回ゼミ報告は以上です。