OB・OGの皆様、こんにちは。第14回ゼミ、個人テーマ「建築」の報告をさせていただきます。今回の発表では、「バウハウスについて考える上で設立者である、ヴァルター・グロピウスははずせないため、今回彼の生い立ちからバウハウスにおける''建築''の捉え方を考えていこうと思う」ということを目的とし、「バウハウスにおける''建築''は明確なプログラムを持ったものではなく、個人的な構想が他人との共同作業により公的に具現化されていく理念である」と主張をし、ディベートをおこないました。まずフロア側からの質問として、「主張中の「バウハウスにおける“建築”」の“建築”とは、“建築理念”と捉えてよろしいということだろうか」という問いに対して発表者側は、「バウハウス というのがもともとグロピウスの造語のため、そのバウ=建築をグロピウスがどのように考えていたかという事である」と答えました。「主張の「個人的な構想が他人との共同作業により公的に具現化されていく理念」について、つまり「他者と協力し‘何か’を形作る」という解釈でよいのか」というフロア側からの質問に対しては、「その考え方で大丈夫である。しかし、その他者の範疇は人だけではなく技術だったりと色々なものに及ぶ」と発表者側は答えました。また、フロア側からの「主張の中のバウハウスの理念は、バウハウスが最盛期の頃の人々からの目線(考え)という解釈でよいのか」という質問に対しては、発表者側は、「バウハウスという言葉を造ったグロピウスの視点である」と答えました。また、意見に関しては「私はバウハウスにおける"建築"とは、明確なプログラムを持った、芸術の最終形態であると考える。バウハウスの教育課程は、今までの発表で何度も述べられているように様々な専門課程を経て最終的に建築を学ぶ。この過程は、工房の増加やマイスター制の廃止はあれど、根本的なものは変わらず設立当初から一貫している。それはこの過程がバウハウスにおいて重要なものであると同時に、建物を作るまでに培わなければいけない技術を取得するための明確なプログラムがあると言うことではないだろうか。これらを経てやっと建築を学ぶことができる。建築とは、バウハウスにとって様々な芸術の総合という概念であると思う」とフロア側からの反論がありました。これに対して発表者側は、「グロピウスがバウハウスをつくるにあたって元の考えは原稿の3ページにある通り、ベーレンスの「古典」であり、バウハウスを建てるにおいて、遠い未来で新しい技術を統合していくという考え方も持っているため、この発表の主張通り理念と主張する」と再反論しました。他のフロア側からの意見としては、「男女平等に学校に入れたりするなど、考え方の積み重ねが建築という意味でバウハウスなのではないか」という反論がありました。この意見に対して発表者側は、「グロピウスのイマジネーションを具現化するためにその具現化を出来る人達が合わさって積み重ねがバウハウスである。そのためこの反論にグロピウスのイマジネーションが合わさったものが私がこの発表において主張していることであると考える」と再反論しました。安達先生からの「プログラムと理念の違いは?」という問いに対しては、発表者側は「プログラムは目標を立ててそれを実現するために立てたものであり、理念はまず目標としてある、ポリシーみたいなものである」と答えました。また、安達先生からは「グロピウスは工業化時代をてこにして様々なことを取り入れて教育をしようという新しいコンセプトを革新的に進めて行った人である」、「ドイツは教育となるとガッチガチにプログラムを固めようとする」、「バウハウスと聞くとハードの方の建築だと思うがグロピウスが求めたのはアイデアの世界でソフトの方であり、そこと繋がったのが教育であった」、「男女も民族も色んな人々が混ざり合い、承継を作ろうとした」、「それまで受け入れる側だったドイツから新しく発信していったのがバウハウスであった」というたくさんのお言葉を頂きました。評決の結果、発表者側の勝利となりました。以上で第14回ゼミ、個人テーマ「建築」の報告を終わります。
OB・OGの皆様、こんにちは。
第14回ゼミ、個人テーマ「建築」の報告をさせていただきます。
今回の発表では、「バウハウスについて考える上で設立者である、ヴァルター・グロピウスははずせないため、今回彼の生い立ちからバウハウスにおける''建築''の捉え方を考えていこうと思う」ということを目的とし、「バウハウスにおける''建築''は明確なプログラムを持ったものではなく、個人的な構想が他人との共同作業により公的に具現化されていく理念である」と主張をし、ディベートをおこないました。
まずフロア側からの質問として、「主張中の「バウハウスにおける“建築”」の“建築”とは、“建築理念”と捉えてよろしいということだろうか」という問いに対して発表者側は、「バウハウス というのがもともとグロピウスの造語のため、そのバウ=建築をグロピウスがどのように考えていたかという事である」と答えました。
「主張の「個人的な構想が他人との共同作業により公的に具現化されていく理念」について、つまり「他者と協力し‘何か’を形作る」という解釈でよいのか」というフロア側からの質問に対しては、「その考え方で大丈夫である。しかし、その他者の範疇は人だけではなく技術だったりと色々なものに及ぶ」と発表者側は答えました。
また、フロア側からの「主張の中のバウハウスの理念は、バウハウスが最盛期の頃の人々からの目線(考え)という解釈でよいのか」という質問に対しては、発表者側は、「バウハウスという言葉を造ったグロピウスの視点である」と答えました。
また、意見に関しては「私はバウハウスにおける"建築"とは、明確なプログラムを持った、芸術の最終形態であると考える。バウハウスの教育課程は、今までの発表で何度も述べられているように様々な専門課程を経て最終的に建築を学ぶ。この過程は、工房の増加やマイスター制の廃止はあれど、根本的なものは変わらず設立当初から一貫している。それはこの過程がバウハウスにおいて重要なものであると同時に、建物を作るまでに培わなければいけない技術を取得するための明確なプログラムがあると言うことではないだろうか。これらを経てやっと建築を学ぶことができる。建築とは、バウハウスにとって様々な芸術の総合という概念であると思う」とフロア側からの反論がありました。
これに対して発表者側は、「グロピウスがバウハウスをつくるにあたって元の考えは原稿の3ページにある通り、ベーレンスの「古典」であり、バウハウスを建てるにおいて、遠い未来で新しい技術を統合していくという考え方も持っているため、この発表の主張通り理念と主張する」と再反論しました。
他のフロア側からの意見としては、「男女平等に学校に入れたりするなど、考え方の積み重ねが建築という意味でバウハウスなのではないか」という反論がありました。
この意見に対して発表者側は、「グロピウスのイマジネーションを具現化するためにその具現化を出来る人達が合わさって積み重ねがバウハウスである。そのためこの反論にグロピウスのイマジネーションが合わさったものが私がこの発表において主張していることであると考える」と再反論しました。
安達先生からの「プログラムと理念の違いは?」という問いに対しては、発表者側は「プログラムは目標を立ててそれを実現するために立てたものであり、理念はまず目標としてある、ポリシーみたいなものである」と答えました。
また、安達先生からは「グロピウスは工業化時代をてこにして様々なことを取り入れて教育をしようという新しいコンセプトを革新的に進めて行った人である」、「ドイツは教育となるとガッチガチにプログラムを固めようとする」、「バウハウスと聞くとハードの方の建築だと思うがグロピウスが求めたのはアイデアの世界でソフトの方であり、そこと繋がったのが教育であった」、「男女も民族も色んな人々が混ざり合い、承継を作ろうとした」、「それまで受け入れる側だったドイツから新しく発信していったのがバウハウスであった」というたくさんのお言葉を頂きました。
評決の結果、発表者側の勝利となりました。
以上で第14回ゼミ、個人テーマ「建築」の報告を終わります。