OB・OGの皆様 こんばんは。第15回ゼミ チームテーマ「食文化」の司会を担当いたしました金沢と申します。報告が大変 遅れてしまい申し訳ございません。第15回ゼミの活動報告をさせて頂きます。今発表ではドイツの食文化について、その特徴や食習慣等の説明を加えながら、そこから考えられる現代のドイツにおける「食」への意識について考察していくことを目的とし、欧州や日本と比べてドイツは「食」の位置づけが低いのは、家族とのコミュニケーションや、食事の際の準備・片付けを最低限にすることで「休むこと」、「自分の時間を大切にすること」を重要視しているためである。と主張しました。まずはじめに安達先生から、「伝統的には、ドイツ(というよりヨーロッパ)の食事は、昼食が「正餐」に当たります。従ってドイツの夕食はkaltes Essenと言い、煮炊きをしないで、ハムやチーズなどとパンによる比較的質素な食事でした。しかし昨今ではベジタリアンやヴィーガンも増え、またドイツ以外の出身者が大幅に増えましたので、食生活も多様化しているのが実情です。」という現代のドイツの食文化についての前提条件をご教授いただき、そして「今発表の論点は食が美味い不味いではなく、簡単、手軽であるか。いかに簡単に済ませるかどうか、下ごしらえなどを踏まえた要領の問題である。」というご指摘もいただきました。BBSに事前に寄せられた意見に対しての反論から始まり、「安達先生もよく仰っていますが、ドイツ人にとって食べることは生きるために最低限必要だからという考えが「食」の位置づけが低い理由なのではないかと考えます。日本人は生きるために食べるのでは無く、食べるために生きるため美味しい食べ物が多く、ドイツ人は生きるために最低限必要だから、食べるという考えであるため、ドイツの料理はあまり美味しくないということも伺ったことがあります。そのためドイツの食生活にとって「手軽」がキーワードとなっているのではないでしょうか。」 という意見に対しては、発表者側から 「生きることは食べること、であり、食の位置付けは低くないと考える。手軽さが重視されていて、家事に時間をかけずに自分自身の時間を増やす。必要最低限よりも手軽さを重視するのがドイツだ。と反論をしました。そこで安達先生からは、「例えばイタリアは美味しいものをより多く食べるために、食べたものを吐く。=食事のために生きている。だが日本では飢饉に苦しんだ時代が長かったため、そう言った文化はない。ドイツも食を美味い不味いで選んでいるのではなく、まずいのを我慢している。また現在は夫婦で共働きが主流であり、週末に車で大型スーパーに出向き、買い溜めをする。昔と今では事情が異なるため、食文化の発表ははっきりとした時代区分が必要である。」というご指摘もいただきました。発表者側の反論に対して、フロア側から 「ドイツは生きるために食べている。食に対しての喜びがない感覚が一定の流れにあり、位置づけが低いのではないか。」という再反論があがりました。再反論に対しては安達先生から、「食に対する価値観の違いや、使用する材料の違いもある。ドイツはパンさえあればOKという感覚があり、日本に来日しても自分達でパンを焼くほど、ドイツ人達にとってパンは食の基本である。」というご意見をいただきました。次に 「私は食の位置づけが低いとはあまり感じられませんでしたジャガイモのメニューには工夫を凝らして様々なレパートリーがありますし、夕食は簡単であっても、昼食は暖かな凝った料理を食べています。本当に色の位置づけが低いのであれば、料理の種類をそこまで増やす必要も無いですし、昼食すらも簡単なものにするのではないでしょうか。 主張からは料理がコミュニケーションを阻害しているようにも読み取れますが、私はむしろその逆で、おやつの時間に友人を招待するなど、食事はコミュニケーションの為の時間であるのではないかと考えました 」 という意見に対しては、発表者側から 「2013年のヨーロッパの食費支出データによると、GDPが低い国ほど支出が高いという傾向があり、ドイツは低い水準にいる。ヨーロッパの食事にかける時間でもドイツは下の方に位置していて、食にかける時間が少ない=コミュニケーションの時間も少ないと考える。」と反論しました。そこで安達先生から 「フロア側の意見は推測の意見であり、発表者側の反論はデータの数字による反論だ。そのため、いずれも簡単に済ませるか否か、というテーマにはリンクしない。」というご指摘をいただきました。また、「ドイツでは食事は手間暇かける対象ではない。ということは事実である。」というご意見もいただきました。評決の結果、フロア側の勝利となりました。以第15回ゼミ チーム発表の活動報告は以上です。
OB・OGの皆様 こんばんは。
第15回ゼミ チームテーマ「食文化」の司会を担当いたしました金沢と申します。報告が大変 遅れてしまい申し訳ございません。
第15回ゼミの活動報告をさせて頂きます。
今発表ではドイツの食文化について、その特徴や食習慣等の説明を加えながら、そこから考えられる現代のドイツにおける「食」への意識について考察していくことを目的とし、
欧州や日本と比べてドイツは「食」の位置づけが低いのは、家族とのコミュニケーションや、食事の際の準備・片付けを最低限にすることで「休むこと」、「自分の時間を大切にすること」を重要視しているためである。と主張しました。
まずはじめに安達先生から、
「伝統的には、ドイツ(というよりヨーロッパ)の食事は、昼食が「正餐」に当たります。従ってドイツの夕食はkaltes Essenと言い、煮炊きをしないで、ハムやチーズなどとパンによる比較的質素な食事でした。しかし昨今ではベジタリアンやヴィーガンも増え、またドイツ以外の出身者が大幅に増えましたので、食生活も多様化しているのが実情です。」
という現代のドイツの食文化についての前提条件をご教授いただき、
そして「今発表の論点は食が美味い不味いではなく、簡単、手軽であるか。いかに簡単に済ませるかどうか、下ごしらえなどを踏まえた要領の問題である。」というご指摘もいただきました。
BBSに事前に寄せられた意見に対しての反論から始まり、
「安達先生もよく仰っていますが、ドイツ人にとって食べることは生きるために最低限必要だからという考えが「食」の位置づけが低い理由なのではないかと考えます。日本人は生きるために食べるのでは無く、食べるために生きるため美味しい食べ物が多く、ドイツ人は生きるために最低限必要だから、食べるという考えであるため、ドイツの料理はあまり美味しくないということも伺ったことがあります。そのためドイツの食生活にとって「手軽」がキーワードとなっているのではないでしょうか。」 という意見に対しては、
発表者側から 「生きることは食べること、であり、食の位置付けは低くないと考える。手軽さが重視されていて、家事に時間をかけずに自分自身の時間を増やす。必要最低限よりも手軽さを重視するのがドイツだ。と反論をしました。
そこで安達先生からは、「例えばイタリアは美味しいものをより多く食べるために、食べたものを吐く。=食事のために生きている。だが日本では飢饉に苦しんだ時代が長かったため、そう言った文化はない。ドイツも食を美味い不味いで選んでいるのではなく、まずいのを我慢している。
また現在は夫婦で共働きが主流であり、週末に車で大型スーパーに出向き、買い溜めをする。
昔と今では事情が異なるため、食文化の発表ははっきりとした時代区分が必要である。」というご指摘もいただきました。
発表者側の反論に対して、フロア側から 「ドイツは生きるために食べている。食に対しての喜びがない感覚が一定の流れにあり、位置づけが低いのではないか。」という再反論があがりました。
再反論に対しては安達先生から、「食に対する価値観の違いや、使用する材料の違いもある。ドイツはパンさえあればOKという感覚があり、日本に来日しても自分達でパンを焼くほど、ドイツ人達にとってパンは食の基本である。」というご意見をいただきました。
次に 「私は食の位置づけが低いとはあまり感じられませんでした
ジャガイモのメニューには工夫を凝らして様々なレパートリーがありますし、夕食は簡単であっても、昼食は暖かな凝った料理を食べています。
本当に色の位置づけが低いのであれば、料理の種類をそこまで増やす必要も無いですし、昼食すらも簡単なものにするのではないでしょうか。 主張からは料理がコミュニケーションを阻害しているようにも読み取れますが、私はむしろその逆で、おやつの時間に友人を招待するなど、食事はコミュニケーションの為の時間であるのではないかと考えました 」 という意見に対しては、
発表者側から 「2013年のヨーロッパの食費支出データによると、GDPが低い国ほど支出が高いという傾向があり、ドイツは低い水準にいる。ヨーロッパの食事にかける時間でもドイツは下の方に位置していて、食にかける時間が少ない=コミュニケーションの時間も少ないと考える。」と反論しました。
そこで安達先生から 「フロア側の意見は推測の意見であり、
発表者側の反論はデータの数字による反論だ。そのため、いずれも簡単に済ませるか否か、というテーマにはリンクしない。」というご指摘をいただきました。
また、「ドイツでは食事は手間暇かける対象ではない。ということは事実である。」というご意見もいただきました。
評決の結果、フロア側の勝利となりました。
以第15回ゼミ チーム発表の活動報告は以上です。