先ほどの第4回ゼミ報告グループテーマ「民族衣装」に続き、今回の企画テーマでは「大津・保育園児事故の記者会見におけるマスコミの対応」について扱いました。軽乗用車が保育園児13人と保育士3人の列に突っ込み、園児2人が亡くなる痛ましい事故が起きたのは5月8日午前10時過ぎのこと。園児たちが通っていたのは、現場近くにある「レイモンド淡海保育園」。事故の被害者である。 しかし、事故当日の夕方に開かれた保育園の園長らによる記者会見は、とてもそうは見えないもので、押し寄せた記者たちは、まるで保育園側に過失があり、“加害者”であるかのように安全対策に関するきびしい質問を浴びせ続け、それに対して園長らが涙を流しながら答えるといった状況だった。 そこでは、「保育園側の会見は必要ないのでは?」「今、保育園の園長先生を会見に出させて会見する意味わからない」といった声が相次いだ。 こうした光景は今回が初めてではなく、事件や事故が起きたとき、被害者が記者会見の場に”引っ張り出されて”メディアの質問攻めに遭うシーンはこれまで何度も繰り返されてきた。 なぜ被害者が会見をしなければならないのか?ということが主なディベート内容となりました。挙げられた意見として、「平凡な意見となりますが、今回の事件で保育園側は会見を開く必要はなかったと考えます。今回の事件で保育園側は完全に被害者であり、園児の散歩に同行していた先生方にも非はありません。被害者の精神がまだ安定していない状況でマスコミを開き質問を畳み掛けて追い討ちをかけるなどということは、あってはならないと思います。話は変わりますがこの事件だけに限らず、マスコミは相手の考えや状況を考えない質問をすることが多いため、会見などで質問をする人はその時の都合がよかった人、などではなく、その事件や人物についてきちんと理解している人を起用するべきです。今回の事件では会見を開くべきはあくまで加害者の女性であり、保育園側は今の状況で会見を開くべきではなかったと考えます。」「私は、マスコミ対策として早期に会見自体は開いて正解だと思います。恐らく保育園側の会見が有ったことで、保育園に直接マスコミが押し寄せることを減らすことができたのではないかと考えます。今一番保育園側がすべきことは、保育士・園児・親のケアで、マスコミが直接保育園に押し寄せ、インタビューすることでまた精神的な被害が広がってしまうと思います。保育園側の不手際がない中の会見はおかしいところもあると思います。しかし結果論となりますが、会見中のマスコミの質問が不適切だと叩かれたことでその新たな被害を食い止めることができたのではないかと考えます。加害者ではなく被害者を無意識かは分かりませんが追い詰めるマスコミの体制や、報道の自由に対してもう少し考え直すべきではないかと思います。」「私は今回の事故で保育園側が会見を開いて、結果としてよかったのではないかと考えます。何故なら、早い段階で保育園側に過失がなかったことが、世間に明らかになったからです。被害に遭われた保育士と園児の方々は、歩道の点字ブロックの内側を歩くように注意を払っており、引率する保育士さんも列の先頭、真ん中、後ろ と配置され、人手不足による注意散漫は見受けられず、被害者側に落ち度はなかった状況を早期に解明できたからです。現場検証が進んでも、その結果が世間に公表されるまでは数時間〜数日の時差があります。その間に、園児達の歩き方や、保育園側の管理に問題があったのかもね。という、事実とは異なる風評やあらぬ憶測を呼ばずに済んだことは、被害者の方々のためにもなると思います。またマスコミの在り方についてですが、マスコミの存在よりも、一部のマスコミによる質問内容の方が問題に感じます。あの記者会見の場に、保育園の園長先生も主席されていて、園長先生への心無い質問が問題に上がっていますが、あの記者会見に園長先生も出席すると、保育園側が決定した以上、マスコミ側も園長先生に質問をする権利はあると思います。質問すること自体が悪いとは思いません。ただ、質問内容に配慮が足りないのではないかと感じました。亡くなった園児はどんな子でしたか? といった質問は、必要のない、知る必要のない質問だと思います。マスコミは話題性を呼ぶような俗的な質問ではなく、被害者の心情を察して汲み取り、事故の事実を明らかにする質問をしていくべきだと思います。」「私はたまたま、こちらのニュースを速報から会見に至るまでの一部始終を見ていました。保育園側が会見を開いた点に関しては素早い判断と対応で、現在メディア対応に対する注目度がたかまっている中正しいのではないかと思いました。会見内容に関しては、情報が錯綜してる中唯一この時間に近い人からの情報を得られるといった点では頼りになる所もありましたが、傷を抉るだけで不必要だなと感じる質問も多く見られ 報道するという事に重点が置かれて配慮に欠けるなと感じました。また会見を報道したという事に関しての意見も世論で多く見られます。今まで会見を開いたりマスメディアに個人情報を公開する立場にない園長先生が加害者より早く矢面に立った部分では考えるものがあります。その上で、文書やイラストだけで良かったのではないかわざわざ映像を放映する必要性はあったのかとニュース等で取り上げられていますが、こんなに交通事故が増えてると報道されてる中減るどころか増えている現在、第三者の視点で記載され手の加えられたものより、園長先生の姿を見る事で抑止効果がでるのではとも思いました。しかし、そのまま放送して良いのか。会見を当日に開くべきなのか。という疑問は強く抱きます。最後に、最近のマスメディアは"報道の自由"という言葉に感けて不必要に個人を追い詰める節があると思います。例えばいくら相手が芸能界に身を置いているとしても一個人としての立場は守るべきで、報道する=その人のプライペートをさらけだすと言う事をしっかり認識しマナーと配慮をした上で報道していただきたいです。それによって、報道される側がだけでなく報道する側そして受け取る側も不必要な不快感を感じることは減るとおもう。」等が挙げられました。また、安達先生からは、「ミス込は市民国民が育てる」「匿名であることを利用してマスコミを叩くネトウヨ達も大きな問題ではないか」「”園長”という立場であるならば、質疑応答の場面ではそれなりの回答をすべきなのではないか。」というお言葉をいただきました。以上で第4回企画報告とさせていただきます。
先ほどの第4回ゼミ報告グループテーマ「民族衣装」に続き、今回の企画テーマでは「大津・保育園児事故の記者会見におけるマスコミの対応」について扱いました。
軽乗用車が保育園児13人と保育士3人の列に突っ込み、園児2人が亡くなる痛ましい事故が起きたのは5月8日午前10時過ぎのこと。園児たちが通っていたのは、現場近くにある「レイモンド淡海保育園」。事故の被害者である。
しかし、事故当日の夕方に開かれた保育園の園長らによる記者会見は、とてもそうは見えないもので、押し寄せた記者たちは、まるで保育園側に過失があり、“加害者”であるかのように安全対策に関するきびしい質問を浴びせ続け、それに対して園長らが涙を流しながら答えるといった状況だった。
そこでは、「保育園側の会見は必要ないのでは?」「今、保育園の園長先生を会見に出させて会見する意味わからない」といった声が相次いだ。
こうした光景は今回が初めてではなく、事件や事故が起きたとき、被害者が記者会見の場に”引っ張り出されて”メディアの質問攻めに遭うシーンはこれまで何度も繰り返されてきた。
なぜ被害者が会見をしなければならないのか?
ということが主なディベート内容となりました。
挙げられた意見として、
「平凡な意見となりますが、今回の事件で保育園側は会見を開く必要はなかったと考えます。
今回の事件で保育園側は完全に被害者であり、園児の散歩に同行していた先生方にも非はありません。
被害者の精神がまだ安定していない状況でマスコミを開き質問を畳み掛けて追い討ちをかけるなどということは、あってはならないと思います。
話は変わりますがこの事件だけに限らず、マスコミは相手の考えや状況を考えない質問をすることが多いため、会見などで質問をする人はその時の都合がよかった人、などではなく、その事件や人物についてきちんと理解している人を起用するべきです。
今回の事件では会見を開くべきはあくまで加害者の女性であり、保育園側は今の状況で会見を開くべきではなかったと考えます。」
「私は、マスコミ対策として早期に会見自体は開いて正解だと思います。恐らく保育園側の会見が有ったことで、保育園に直接マスコミが押し寄せることを減らすことができたのではないかと考えます。今一番保育園側がすべきことは、保育士・園児・親のケアで、マスコミが直接保育園に押し寄せ、インタビューすることでまた精神的な被害が広がってしまうと思います。
保育園側の不手際がない中の会見はおかしいところもあると思います。しかし結果論となりますが、会見中のマスコミの質問が不適切だと叩かれたことでその新たな被害を食い止めることができたのではないかと考えます。
加害者ではなく被害者を無意識かは分かりませんが追い詰めるマスコミの体制や、報道の自由に対してもう少し考え直すべきではないかと思います。」
「私は今回の事故で保育園側が会見を開いて、結果としてよかったのではないかと考えます。
何故なら、早い段階で保育園側に過失がなかったことが、世間に明らかになったからです。被害に遭われた保育士と園児の方々は、歩道の点字ブロックの内側を歩くように注意を払っており、引率する保育士さんも列の先頭、真ん中、後ろ と配置され、人手不足による注意散漫は見受けられず、被害者側に落ち度はなかった状況を早期に解明できたからです。
現場検証が進んでも、その結果が世間に公表されるまでは数時間〜数日の時差があります。その間に、園児達の歩き方や、保育園側の管理に問題があったのかもね。という、事実とは異なる風評やあらぬ憶測を呼ばずに済んだことは、被害者の方々のためにもなると思います。
またマスコミの在り方についてですが、マスコミの存在よりも、一部のマスコミによる質問内容の方が問題に感じます。あの記者会見の場に、保育園の園長先生も主席されていて、園長先生への心無い質問が問題に上がっていますが、あの記者会見に園長先生も出席すると、保育園側が決定した以上、マスコミ側も園長先生に質問をする権利はあると思います。質問すること自体が悪いとは思いません。
ただ、質問内容に配慮が足りないのではないかと感じました。
亡くなった園児はどんな子でしたか? といった質問は、必要のない、知る必要のない質問だと思います。
マスコミは話題性を呼ぶような俗的な質問ではなく、被害者の心情を察して汲み取り、事故の事実を明らかにする質問をしていくべきだと思います。」
「私はたまたま、こちらのニュースを速報から会見に至るまでの一部始終を見ていました。
保育園側が会見を開いた点に関しては素早い判断と対応で、現在メディア対応に対する注目度がたかまっている中正しいのではないかと思いました。
会見内容に関しては、情報が錯綜してる中唯一この時間に近い人からの情報を得られるといった点では頼りになる所もありましたが、傷を抉るだけで不必要だなと感じる質問も多く見られ 報道するという事に重点が置かれて配慮に欠けるなと感じました。
また会見を報道したという事に関しての意見も世論で多く見られます。今まで会見を開いたりマスメディアに個人情報を公開する立場にない園長先生が加害者より早く矢面に立った部分では考えるものがあります。その上で、文書やイラストだけで良かったのではないかわざわざ映像を放映する必要性はあったのかとニュース等で取り上げられていますが、こんなに交通事故が増えてると報道されてる中減るどころか増えている現在、第三者の視点で記載され手の加えられたものより、園長先生の姿を見る事で抑止効果がでるのではとも思いました。
しかし、そのまま放送して良いのか。会見を当日に開くべきなのか。という疑問は強く抱きます。
最後に、最近のマスメディアは"報道の自由"という言葉に感けて不必要に個人を追い詰める節があると思います。
例えばいくら相手が芸能界に身を置いているとしても一個人としての立場は守るべきで、報道する=その人のプライペートをさらけだすと言う事をしっかり認識しマナーと配慮をした上で報道していただきたいです。
それによって、報道される側がだけでなく報道する側そして受け取る側も不必要な不快感を感じることは減るとおもう。」
等が挙げられました。
また、安達先生からは、「ミス込は市民国民が育てる」「匿名であることを利用してマスコミを叩くネトウヨ達も大きな問題ではないか」「”園長”という立場であるならば、質疑応答の場面ではそれなりの回答をすべきなのではないか。」というお言葉をいただきました。
以上で第4回企画報告とさせていただきます。