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第3回ゼミ報告 個人テーマ「映画」

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1なかだ時計 2019/05/10 23:21 電話3PC iPhone

OB・OGの皆様、こんにちは。
第3回ゼミで司会を担当致しました中田でございます。
個人テーマ「建築」に引き続き、こちらでは個人テーマ「映画」のゼミ報告をさせていただきます。

発表者は3年生の際は「バレエ」をテーマに研究しておりましたが、4年生からは「映画」に変更いたしました。
主張は「ドイツ表現主義映画の代表作である『カリガリ博士』が、ドイツの観衆に受け入れられた理由として、精神をテーマにした退廃的な作風が、第一次世界大戦で敗れ負の雰囲気にあるドイツ国民たちの暗い精神状態と一致したからではないか」というものでした。

フロア側の意見には、まず「当時のドイツ国民の精神状態と重なるから受け入れたのではなく、自分たちと同じか、あるいはそれ以上に悪い状態にある人達の物語を見ることで、自分はまだいい方だと安心したかったのではないでしょうか」がありましたが、発表者は「映画の内容に戦争の描写は無く、フランシスが精神病になった理由は明らかにされていない。国民と同じ立場(境遇)ではないため、比較はできないのではないか」と反論しました。
次の意見に「ドイツの人々は精神状態が「カリガリ博士」と重なっていたのではなく、「カリガリ博士」が欧州大戦後、ドイツ映画復興の第一声をあげた作品であり、疲弊しきっていたなかで少しでも希望として受け入れたのではないでしょうか」ということがありましたが、「娯楽なのでフロア側の意見も勿論理由としてあるだろう、しかし現場では制限があり「期待」がジャンルの衰退に繋がるので、「希望」になる前の映画だったのでは」と発表者は反論しました。
最後に「映画の表現は確かに暗いという印象を受けますが、内容は最後はどちらかと言うと「〜という夢でした」といった終わり方の印象を受けました。また、あらすじの最後「自分ならフランシスを治療することが可能だと主張する」という部分からも、これからは良くなるといったイメージを受けます。「カリガリ博士」が当時の国民に受け入れられたのは、暗い精神状態と一致したという理由に加え、逆に希望を持たせると言った元気づけの様なストーリーだったからではないか」という意見には、「結末はぼかされている。フロア側の主張にそうならば、フランシスはこれからどうなるとかその後が描かれているのではないか」という反論でした。

安達先生は、「カリガリ博士」は日本の文学作品である「羅生門」と似ており、自分の真実を話すがどれが間違いなのか分からない作品であると述べられました。
「カリガリ博士」の鑑賞者は自分の見方で判断する為、途中まではフランシスの味方であるが、最後はカリガリ博士の味方になる。第三者の意見が変わる作品である。また、この作品はカメラワークや舞台装置が後の映画の先駆けとなり、アイディアが秀でておりインパクトがあったということをおっしゃっていました。
そして、退廃的な作風は元々あったので「カリガリ博士」によって広まったものではない。100年以上前から怪奇作風があり伝統的な作風であった、例としてロシアのホフマンも挙げられる。
フロア側の意見に作品が「希望」であるという内容があったが、「希望」→映画業界の期待であり、国民は同じような希望を持つというよりは「興味・娯楽」要素の方が強いのではないか。というアドバイスもいただきました。

結果、今回は発表者側の勝利となりました。
以上で、第3回ゼミ 個人テーマ「映画」の報告とさせていただきます。

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